今年はどんな年?生命の色、生命の輝き、光と闇に向き合う
聖なる十二夜が終わりました。聖なる十二夜とは12月25日~1月5日までの期間のことを指します。これから迎える一年、今回は「2026年」がどのような年になるのかと深く関係しているとされており、私は意識的にこの時を過ごしていました。
聖なる十二夜のことはインスタでシェアしていました。
「クリスマスの十二日十二夜が来るべき十二カ月と何か関係があるということは、古くからよく知られていました。例えば十二月二十五日は一月と、そして二十六日は二月と関係するというようにです。そしてこれから私たちが迎える聖夜にキリストは人間と地球とそして宇宙に、その祝福の力を注ぎこみます。それはあたかも人類と地球の生命が新しい刺激を受けるようなものなのです。つまりクリスマスは二千年前の出来事を思い出す機会だけではなく、今日、この夜に起きることが重要なのです」クリスマスの秘密より引用。
聖なる十二夜の私自身の体験全体を俯瞰してみると、この期間、特に「色」について問いをもち、考え続けていたことに気づきます。12日間の間に、ぬらし絵を4枚、層技法による色環を1枚、白黒線描を2枚描きました。そして、同時に自然界の色を注意深く観察していました。
光と闇の間に色が生れるという問い
なぜ色について問いを持ったかというと、仲間内で行っているバイオダイナミック農法についての勉強会の中で出てきた話題がきっかけでした。
シュタイナー教育に長く携わってこられた先生が、「本物の“生きた色”というのは、虹のように移ろっていく色です。ベターッと固まったように塗られた絵具の色からは、それを感じ取ることができません。だからこそ、画用紙をぬらして色を体験することが大切なのです。ぬらし絵(水彩)に取り組むことは、生きた色を感じることなのです」と語られていた言葉が、強く心に残っていました。
そこから、ゲーテの「光と闇のあいだに色が生まれる」という言葉の意味を、改めて知りたくなり、考え始めたのです。
ニュートンとゲーテの色の捉え方
ニュートンの色彩論では、白色光の中にすでにすべての色が内包されており、プリズムを通すことで光が分割され、色が現れると考えられています。物理的・物質的な視点から見れば、それは正しい理解です。
しかし、ゲーテはこれを真っ向から否定しました。色は、光そのものの中に最初から存在しているのではなく、光と闇が出会い、せめぎ合うところに生まれる現象である。つまり色とは、物質そのものではなく、「出来事(現象)」なのだと考えたのです。


どのような気象条件のもとで色を見ているのか、光や闇の強さや関わり方、色と色の関係性・・・そうしたさまざまな要因によって、私たちに見える色は変化します。
さらにゲーテは、色を人間の魂と深く結びついた存在として捉え、「見る側の人間」と切り離して考えることはできない、という非常に重要なことを述べています。
実際に私は、この「光と闇のあいだに色が生まれる」という言葉を探求することで、初めて「生きた色」を見たように感じました。これまで、この言葉がどうしても腑に落ちなかったのですが、それは私自身がニュートン的な色の捉え方に、無意識のうちにとどまっていたからだったのだと思います。
色を分類し、それぞれの色をどのように感じるか、色のアーキタイプ的な意味を探究することは、これまでも行ってきました。
しかし、光と闇、色と色の関わり合いや重なり合いの中で色が生まれること、そして色とは移ろいゆくものであるという視点が欠けていました。
私はこれまで、色を「止まった色」いわば「死んだ色」としてしか見てこられなかったのだ、そのことに、今さらながら気づいたのです。
色環

層技法という、薄い色を塗っては乾かし、乾かしてはまた塗る・・・
その工程を、ゆっくり、ゆっくりと時間をかけて繰り返しながら、色と色を重ね、新たな色を生み出していく方法で、色環を描きました。
色は重なり合うことで、次の色へと生まれ変わっていきます。その体験を通して、色は分割されたものではないということ、そして魂へとうつろっていく色の感覚が、少しずつ内側に浸透していくのを感じました。
自然界の光と闇を意識しながら景色を眺めることで、これまで気づかなかったこまやかな色彩の変化にも、目が向くようになりました。
そして、自然の色彩が、きらきらと輝いて見えるようになったのです。本物の色(生命の色・生きた色)を見ているのか。それとも、止まった色(いわば死んだ色)を見ているのか。
それは、見る人の眼差しによります。そして意識的に目覚めて観ることをしないと、本物の色が見えないということも実感しました。
山や空の色が変わっていくのが見えますか?




光と闇が接する山の稜線の色は他の部分と色が違います。そして光が強くなれば、闇もそれだけ強くなることに気づきました。
ちなみに左上には小さいですがお月様が映っています。1時間ごとくらいに写真を撮りましたが、月が山へ沈んでいきます。
白と黒
ちなみに、光は白、闇は黒にたとえることができます。白黒線描の体験も行いました。
闇も薄まれば光に見えること。同じ濃さの光や闇であっても、共に存在する光や闇の強さによって、それは光にもなれば、闇にもなること。
光は、闇があるからこそ見える。闇は、光があるからこそ、闇であると気づく。白と黒を描く中で、そんなことを深く感じました。

そして、闇から光は生まれるのだということにも気づきました。

闇だけでも、光だけでも、何かを生み出すことはできない。
宇宙の闇、闇が最初にあって、その中から光が生れる。光が生れたことによって、闇は闇に気づきます。
黄色と青色
黄色は光を、青は闇を表す色です。
「黄色は白が濁った色、青は黒が濁った色」そんな言葉を耳にしたこともあります。
黄色という色は、光がわずかに闇によって弱められたときに現れる色。光が闇へと降りていくときの色、ともいえるでしょう。
一方、青色は、闇がわずかに光によって透かし見えるときの色。青は、闇が光へ向かって現れてくる色、ともいえます。
闇に光が届くことで、植物は生まれます。闇だけでも、光だけでも、何かが生まれることはありません。それは、自然界に貫かれている根本的な法則なのだと感じました。

聖なる十二夜の間に描いたぬらし絵
冬の木と夏の木を描くことによって、いくつもの発見がありました。


冬の木。冷たく澄んだ空気を、プルシャンブルーで表しました。そこに、カーマインの赤をほんの少しだけ加えると、不思議なことに寒さがいっそう際立って感じられました。
葉をすべて落とした、どこかさみしげな木。冬は、外側から働きかけてくる闇に、世界全体が覆われます。そんな描き方を重ねていくなかで、最後に現れてきたのは、雪という白い光でした。
冬という、闇に覆われる季節を、しっかりと感じきることは、とても大切なことだと感じます。感じきるからこそ、はじめて見えてくる「光」があります。たとえ闇に包まれていたとしても、命あるものの内側に宿る光が、失われることはありません。
春になり、白と黒の世界から立ち上がってくる植物たちの息吹は、きっと「生きた色」として感じられるはずです。
一方、夏の木は、中心から黄色が放射しています。黄色に青を混ぜると、緑になりますね。光の当たり方によって、葉の色が微妙に違って見える様子を、描くことで表現しました。
夏の木と冬の木。そこに働いている生命の力の質が、まったく異なることを、はっきりと感じることができます。
そして私は、ゲーテのいう「色」とは、単に感覚的に知覚できるものだけを指しているのではなく、超感覚的な次元にまで及ぶ色のことなのではないか、そんなふうにも感じ始めました。
その他描いたぬらし絵


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