こちらのブログは流れる生命、流れる色と形①②③の続きです。特に③を先に読まれて④を読んでいただくと良いです。
流れる生命、流れる色と形① – ハーバルメディスン|Herbal Medicineでは、生命と対極にあるであろう機械論のお話をしました。そして意識的にならないと私たちも機械論的なものの見方に捉えられていることも多く物質性に埋没してしまいやすい世の中であること。生み出されるプロセスを大事にする感覚を育むことが大切であることをお伝えしました。
流れる生命、流れる色と形② – ハーバルメディスン|Herbal Medicineでは、形は動きが先にあって生み出されるもの。その形を動かし自分の中に生まれるものを感じることができて、初めてその本質的な力(秘密・真理・理念)を知ることができることをお伝えしました。
流れる生命、流れる色と形③ – ハーバルメディスン|Herbal Medicineでは、心の根源は形であるというお話。縄文時代の意識の状態について考察しました。
今回の内容:
- 元型(アーキタイプ)について
- 縄文人の数の認識について
- 現代人は縄文人の意識状態を体験できるのか?
- 植物観察を通じて見えるもの
元型(アーキタイプ)について
神話や昔話には、世界中に共通するパターン、つまり「人間に生まれ持った共通のイメージ・心のパターン」が存在するそうです。
ユングは、それらのイメージの元となる型が無意識内に存在すると考え、それを元型(アーキタイプ)と呼びました。
元型は、以下の図ように集合的無意識の層に存在します。

自意識がまだ確立されてなく、個としての境界があいまいだったろう古代の人々は集合的無意識と深くつながり、植物、動物、人間の「形」に「流れる生命」を感じることができたのではないかと思います。(縄文時代の考察 流れる生命、流れる色と形③ – ハーバルメディスン|Herbal Medicine)
ユングは「元型はイメージであり、それと同時に情動である。元型について語ることができるのは、これらの二つの側面が同時に生じる場合のみのことだ。」 と『ユング 夢分析論』(C.G.ユング みすず書房)の中で語っています。
縄文人は、無意識の層から情動としてあがってくるイメージを縄文土器に表現していたのではないかと感じます。
様々な形は止まったものではなく、動きのあるものとして、命が宿るものとして当たり前に感じられたと思いますし、目に見えない存在・星々の声も聞こえていたかもしれません。

縄文人の数の認識について
人類最古の数字認識の獲得は、約5500年前のメソポタミヤのシュメール人にあったと言われています。そして縄文人においても、5000年前に十二進法による数字認識の可能性があるそうです。city.toyama.toyama.jp/etc/maibun/kitadai/j_kouza/kouza-17.htm
さて、数字についての捉え方も、現代の私たちが捉える左脳的な数字の意味と、古代人が捉える数字は大きく違うだろうと考えられます。
数字も形とともに捉えていたと考えられますし、数字はそれぞれが唯一絶対的なものであり、一つ一つが神的存在として捉えることができます。そこから生み出される幾何学も同様です。
古代人は、数字や幾何学も、神的存在として、流れる生命を感じるものとして、命の宿るものとして感じていただろうと想像します。

現代人は縄文人の意識状態を体験できるのか?
自意識が確立され、思考する力を増していくとともに、個としての境界もはっきりし、自然と一つである感覚から切り離されていった現代人。
現代はその切り離され機械論的・物質主義の極みにいます。
弥生時代は縄文時代より退化したと考える方も多いようですが、それは違うのではないでしょうか。
私たちは知性を発達させ、思考する力を高め進化していったのです。
思考力があがれば、当然ながら感じるという力は落ち、自然や根源的なものと一つで在る感覚からは離れていきます。
流れる生命、流れる色と形③ – ハーバルメディスン|Herbal Medicineで話したように、ジュリアン・ジェインズの二分心という説によると、遠い昔(紀元前2000年紀以前)人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていて、今の人間のように私という意識がなく、心の中に浮かんできたことは神の声でそれに従って生きていたといいます。
ある種そこには自由意志がありません。
現代の私たちは思考力が高まり、個を確立し、自由意志のもとに創造していくことができます。それは進化であると言えます。
では、知性が発達した人間は、もう自然と一つになれないのでしょうか?縄文人の意識を体験することはできないのでしょうか?
現代人が縄文時代の暮らしに還ることを目指す必要はありません。
私たちは「思考する」という行為や、目に見えない世界(超感覚的世界の認識)に関する知的な学問を通じて、再び流れる生命を感じる、自然と一つになる体験をしていくことができます。
それが、アントロポゾフィー(人智学)の学びや植物観察の学びなのです。

植物観察を通じて見えるもの
植物観察をしていると、人間の霊的成長に必要なことが植物に表現されていることに気づきます。
一例をあげると、基本的に葉は螺旋形に茎につき、メタモルフォーゼしていきます。
ルドルフ・シュタイナーは、メタモルフォーゼについて次のように述べています。
「初めは単純なものから複雑なものへと進む。しかし、それから成長の中間段階においては、最も複雑な段階に至り、その後は再びより単純になり、同時により完全になる。」
これは、植物の種類が異なっても基本的にこのような変化を遂げるわけで、そのような元型が植物の中にあること不思議だと思いませんか?
単純なものから複雑なものへ、そして完全なものになるよう導くものが背後にあるわけです。
人間の精神発達も同様にそのようにメタモルフォーゼする元型があるはずです。
植物観察をしていると、多くの人が自分にとって必要な精神的な気づきを植物から得ていきます。
そして、自分がなぜその植物を一年かけて観察してきたのか、その植物の本質的な意味を悟ります。
植物観察は地→水→風→火のステップを進んでいきます。植物観察のステップについては、こちらご参照ください。薬を創る道②植物との対話に必要な植物観察のステップ – ハーバルメディスン|Herbal Medicine
地のステップでしっかりと目に見える構造を把握します。地のステップは、形を止まった状態で緻密に捉えていきます。
水のステップになると、その形を動き、流れるように生命を感じていきます。
風のステップで、その形・その色が魂にどのように働きかけてくるのか響いてくるものを受け取っていきます。
火のステップでその植物の霊的本性、本質を受け取ります。
植物の色・形には意味があります。
地→水→風のステップを通じ、なぜその植物はそのような色や形をしているのか、思考しながら観察し、火のステップへ導かれます。
植物の形を辿るというのは、集合無意識に存在する形の元型につながることではないでしょうか。
↑↑↑これって、すごいこと!!!を述べています。
集合無意識に存在する元型とは、人類全体が何度も何度も輪廻転生を繰り返し、人類全体としての叡智があつまったものです。
植物観察はそんな叡智につながる行為なのです。
そして、今生きている私たちが霊的な叡智や気づきを受け取れば、それもまた全体に寄与することになります。
こうやって命は巡るものなのですね。
「植物の色・形・ふるまいには意味がある。植物を対話するように観察すれば、精妙な感性や本質を観る目を養う。植物、人間、宇宙のつながりを知る古からの学びや植物との共鳴を通じ、自分と自然の叡智に触れる。」
こちらのメッセージは私が見ている私の人生の北極星。このメッセージが多くの人に届くとよいなと感じています。
流れる生命、流れる色と形① – ハーバルメディスン|Herbal Medicineでもお伝えしましたが、この世の秘密(真理)にはどこからでもたどりつくことができます。
ただ、機械論的思考である「結果」は知っていても「過程(プロセス)」を知らぬ状態では真理には一生たどり着くことができません。
機械論的な思考を超えて、生命あるものの流れを見つめるようになった時、私たちの物質的な領域に霊的なものが浸透していることに気づいていきます。
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