「植物の色・形・ふるまいには意味がある。
植物を対話するように観察すれば、精妙な感性や本質を観る目を養う。
植物、人間、宇宙のつながりを知る古からの学びや植物との共鳴を通じ、自分と自然の叡智に触れる。」
これは私がこれからの一生を通じて、皆様にお届けしたいメッセージです。
私はこの1年間、アントロポゾフィー(人智学)で人間の理解と世界観を深めるべく、「バイオグラフィーワーク」というものを学んでいました。
バイオグラフィーワークは、0~7歳、7~14歳・・・7年周期で、アートの力を使って、自分の人生の軌跡をたどり、その生きる意味を探求するようなワークです。
それぞれの時期に自分の特徴や課題が表現されていることにふと気づいていきます。とても静かなワークと気づきの積み重ねがなされます。
自分の人生の体験だけではなく、人の人生の話を何度も何度も聞かせていただきました。
「人の人生というものは大きく揺さぶられる体験だけではなく、日々の小さな体験の中にも、魂の体験がある。誰もが例外なくその人の「魂の意図」に沿って生きており、その人だけの道を歩んでいる」
と、この1年で感じるようになりました。
多くの人は、自分の人生について、無意識の眠っているような状態になっており、「自分の道」がどこにあるのか、それについて探し悩んでいるかもしれません。
意識的になりさえすれば自分の人生は神秘に満ちていることに気づき、自分や人の人生に畏敬の念が生れくるのではないかと感じています。
自分はどのように歩んできて、何者なのか、そしてどこに向かおうとしているのか、人間も植物と同じようにメタモルフォーゼしながら人生を歩んでいます。
そんな人生や人間の本質についての学びができ、人生の法則性に気づいたり、自分に目覚めていくのがHerbal Medicineで行っている「植物観察」なのです。
植物観察は植物の学びというだけではなく、プロセスを通じ本質に目覚めていく行為なのです。
どのように私が自分の魂と植物に導かれてきたか、私の人生を振り返りながら、その意味をお伝えしたいと思います。
よかったら私の人生にお付き合いください。
両親の「居場所探し」の影響を受ける幼少期
その種(たね)は今思えば幼いころにすでに、撒かれていました。
私は大阪生まれの島根県育ちです。私の両親は、父親は21歳、母親は20歳というこれから社会に出て自分の居場所を探し確立するという年代に私を授かりました。
母からは、そんな若さで私を育てることになり、自分達の行く末や将来について悩み、私を産むべきかどうかすごく悩んだと聞かされていました。
私が新生児~9歳までは、あちこちへと引っ越しの連続で、数えてみれば7回の引っ越しをしました。小学校も3年生までに3校も変わったのです。
両親は自分たちの居場所探しをしていたようです。
中でも両親にとっての大きな変化・チャレンジは、私が7歳のころの父親の起業です。会社務めをしていた父親は自分で飲食店を経営することにしました。
田舎の街でしたが、そのお店は流行り、有名に。もともと自由奔放な性格の父親。自分の趣味で船を購入し、魚釣りをして、めずらしい魚や高級魚を釣ってはお店に出していました。それが新鮮な魚が安く食べられる海のそばのお店として、流行ったのでした。
小学校3年生9歳の時、両親の仕事も安定し、お家を建てることになり、やっと両親は自分たちの居場所と安住の地を見つけることになります。
理学療法の道へ
父は自然が好きで、私と2歳下の弟をよく休みの日には海や山に連れ出し、いろんな生き物に触れさせて育てました。
私はそんな父の影響を受け自然が大好きになったのだと思います。
また、父は自分の人生を自分の好きなように楽しむ人でしたが、私は自営業をしている父にたいしてとても嫌悪感を抱いていました。
私は人前で目立つのが苦手な性格の子でしたが、父親が飲食店をやっているというだけで、田舎町ではすでに目立っており、周りの人から声をかけられ、〇〇という店の娘のイメージがすごく恥ずかしくて嫌だったのです。
サラリーマンの普通の家庭がうらやましく思っていました。人と違うことは恥ずかしい、いけないというような思い込みがこの頃生まれました。
そして、夜も忙しく、まだまだ若く幼い両親たち。
私はおのずと早く自立していきます。大人びて、自立心の強い私は、お父さんのような自由な生き方はダメ、安定して堅実な仕事をしなきゃと思っていました。
また、祖母が保健師でその仕事について行き祖母をかっこいいと感じたり、小学校4年生の時、大好きだったレントゲン技師の叔父が30代半ばでガンで亡くなり、あまりにも残酷な闘病生活を間近で見て、病気を治したい、医療について知りたいと強く感じるようになりました。
中学校の時にははっきりと医療の道に進むと決め、高校生で理学療法士(リハビリのお仕事)になると決めました。
体の構造をしっかりと「見た」学生時代
私は信州大学の医療短大(3年)に通いました。
その学校は献体されたご遺体を解剖学実習で1年もかけて解剖しながら、細部にわたる筋肉の流れや、臓器の一つ一つ、脳の細部にわたるまで、少人数で一人のご遺体の解剖を学生に学ばせました。
医者になる学生と同レベルで理学療法学専攻の学生にも解剖実習を行う珍しい学校だったのです。
実習はかなり遅い時間まで続きました。
当時は肉を食べられなくなるような過酷さがありましたが、献体くださった方の意志を尊重しながら、たくさんのことを学ばさせていただき、その経験は今でも深く記憶に刻まれています。
勉強好きな私は今度はとことん脳を探求したくなり、広島大学に編入して、高次脳機能障害(脳の障害)の勉強をすることに。
当時は、脳が人間にとって最も重要と思っていたからです。
理学療法士のバイトをしながら、さらに2年間の学生生活を送ります。
つづく
人生の軌跡と奇跡②~アロマの導き~ | ハーバルメディスン|Herbal Medicine|植物療法|広島県広島市 (herbal-m.jp)