流れる生命、流れる色と形①

機械論と生気論

生命の本質って何だろう?植物観察ではそんな問いについても考えていくことがあります。

それを考える際にまずは生命の対極にある機械論について考えたいと思います。

代替療法や哲学の中で、機械論と生気論のことが語られます。

簡単にいうと、機械論というのは、生命現象を物理現象として認識し説明できるとする説です。
例えば、人間を部品の集まりの機械のようなものに捉え、壊れた部分があればそこを治せばよいという考え方になります。1+1は必ず2であるという世界観で、基本的に現代の自然科学、医学は機械論を土台にしています。

生気論というのは、機械論の対極に当たる考えで、生命現象を物理法則だけでは説明できないもの、人間を部品の集まりの機械としては説明できないとする説です。1+1は必ずしも2にならない世界観で、部分をいくら積み重ねても、決して全体には到達できない捉え方です。例えば人間は臓器の単なる集まりではなくそれ以上の存在であるという考え方です。

病院も人間全体をひとつながりで見てくれる科は一般的には存在しなくて、それぞれ〇〇科、〇〇科と分かれていますね。それは専門性を持っているということでもあるけれど、どんなにその道の優れた医者が集まり、その道から人間のことを語りつくしたとしても、人間のすべてを語ることはできませんよね。

自然療法を学んでいれば、この生気論的な考え方はホーリズムやホリスティックな見かたに通じ、納得する考え方だと思うのですが、私たちは日常で機械論的な思考の中に身をおきがちであることにも気づいていく必要があります。

ゲーテと生命

ゲーテはメタモルフォーゼ試論を唱えた方ですが、「形態学論集 植物編」の中で下記のようなことを述べています。

「ドイツ人は、実在する物の複雑な在り方に対して形態(ゲシュタルト)という言葉をもっている。
この表現は動的なものを捨象し、ある関連しているものが確認され、完結し、その性格において固定されていると見なす。 しかし、すべての形態、とくに有機物の形態をよく眺めると、どこにも持続するもの、静止するもの、完結したものが生じてこないことに気がつく。むしろ、すべてのものは絶えず揺れ動いているのである。それゆえドイツ語は、形成という言葉を適切にも、すでに生み出されたものについても、また現に生み出されつつあるものについても使うことにしているのである。 」

難しい表現に感じるかもしれませんが、ゲーテは生命あるものは絶えず揺れ動いているものと述べています。

そして、私たちはいつもあらゆるものに対して、その揺れ動いているものを感じることなく、固定化された「物」としてみがちであると述べているのだと思います。

例えば、この植物は「ユリ」、この植物は「バラ」、この植物は「スズラン」というように、止まった形で認識し、生命あるものを見た時にも、名前や一般的な情報を知るだけで安心しています。

私たちは情報が少しでも入ればそのものにラベルを貼って脳におさめ、そのものをわかった気になっています。

植物が成長する姿をじっくりと観察し、その揺れ動く生命を感じようしたり、ユリの花の色や形がなぜこのようなものに形作られているのか、その背後にあるそれを生み出す力の働きや動きに意識を向けようとしたことがある方は一般的にほとんどおられないのではないでしょうか。(植物観察を学んでおられる方以外は)

水の流れがあって川が形づくられるように、植物の形というものは背後に動きや流れがあって生み出されていきます。

止まったものの見方というのはまさに機械論的なものの見方に通じます。

機械は、有機的な流れを生まない動かないものであり、止まった物です。白か黒かで物事を決めつけたり、〇〇は△△だという短絡的な思考へとつながっていきます。

意識しないと、なんでも短絡的に物事を捉えてしまうようになり、それは物質性に埋没し、結晶化していくようなことかもしれません。

生き方も機械論になってませんか?

何でもそうなのですがいきなりは上手くはなれないですし、また個人個人の能力には差があります。そして自分よりもできる人はこの世にたくさんいます。

幼少期に失敗を体験したり、自分の限界を知ることを通して、自分の能力を適切に受け入れていくことは大事です。

この失敗や限界を知ることを子供のころに体験した時、そのプロセスを大人から褒められたり、大人から励まされることはとても重要です。

それが感じられないと、できない自分は許せないというような思考に陥ったりします。

完璧にできないのなら最初からやらないことを選んだり、できる自分になるために足りないものを追い求め、獲得し続けなければという思考や、結果が自分の価値であるという思考に陥ります。

それでは目的や結果にばかり執着し、白か黒か、できるかできないか、人と比べて優れている劣っているというジャッジをしがちな生き方になります。

そのような思考も物質性に埋没した機械論的といえます。

自己肯定感が低い方の多くは、物質性に埋没した物の見方で自分を捉えているのかもしれません。

でも大丈夫。そこから脱却することもできます。

そのためには、有機的に生み出されるプロセスを大事にしていく体験を積み重ね、プロセスに意識をむけることのできる自分を育てることが重要です。

その育みに有用なのが、植物観察やフラワーエッセンスでもあります。

植物観察は植物との共鳴・交感というプロセスを育み、そのプロセスこそが最良の薬であることに気づいていきます。

フラワーエッセンスは、自分の内面について見つめ、必要なレメディを選び、そしてそれをとることでどのような気づきや変化があったか、自分の人生に何が起こったか、そしてそこから学べることはなにか、一つ一つを丁寧に見つめていくプロセスワークです。

自分のプロセスを味わい、気づき、在り方を選び、自分が自分を励ましながら、すすんでいくことができます。ゆっくり丁寧に、忍耐力をもって自分を育んでいくことが大事です。

色からの気づき

最近はぬらし絵の取り組みから気づきを得ていく体験もよくしています。ぬらし絵はとてもやさしいワークで自分を見つめることが難しかったり、自己肯定感が低いと感じている方にとてもおすすめのワークです。

有機的に生み出されるプロセスを大事にしていくことを体験できるセラピーです。

ぬらし絵とは、水をたっぷり含ませた紙に、絵の具が滲み、溶け合うことで生まれる色を味わう体験になります。

この絵は、飾って眺めるための絵でもありませんし、また上手に描けるようになることが目的でもありません。そもそもにじみ絵は細かい描写ができる技法でもありません。

きちんと模写したり、美しい絵を描くというゴールを目指す在り方ではなく、色の方がにじみながら動き、色の合わいが生み出される、そのプロセスを大切にし、色の力によってご自身の中に自然に生まれる感情をただ体験するだけです。

色と色の化学変化で生み出されるものは自分の想いを超えてはっとさせられる体験を与えてくれるかもしれません。

これが生き方にも通じるのです。こうやってプロセスを今ここで体験しながら、自らの在り方を決め、一瞬一瞬を積み重ねながら生きることもできます。

そんな体験をにじみ絵を通じてしていきます。

実は、この描き終えた絵というのは「残骸」でしかないのですよ。何度も言いますが、プロセスを体験するワークなので。

なので上手いとか、下手とか、そもそもだれかと比べる必要が全くないのです。感じたことはみんな違いますし。

自己表現が苦手な方、ご自身の感情と向き合うのが難しい方、すぐに良い悪いのジャッジをしてしまう方、機械論的な思考、物質性に埋没してしまいがちな方にぜひ体験していただきたいと思っています。

最近、植物の「緑」という色の意味について問いを持ち考えていました。

そんな折に、「植物のなりたち」のにじみ絵を体験させていただきました。

植物の成長に必要な、光、水を含んだ土、熱を色で表現していき、そこへ植物の種を撒きました。

植物から根が出て、芽がでます。それを描きました。

植物の芽は光の黄色と水の青が混ざることで「緑」となりました。

熱が光と混ざり、光が水と混ざり、熱が地と混ざり、色の合わいで、最終的に虹色が生れました。なんて素敵なのでしょう。

植物は虹色から生まれるのだとそのときはっとした目覚めの体験がありました。

それは植物の芽が出ているのを発見した時の喜びと似た体験でした。

植物たちは宇宙から下ってくる霊的な存在によって呼び起こされ芽吹いていきます。

色の体験は、そんな風に、眠っている魂を目覚めさせるよびかけです。

これを繰り返すと、魂がゆっくりと目覚め、自分の本当の声を聞くことに役立つと感じます。

続く・・・ 

次回は「流れる生命、流れる色と形②」です。流れる形についてのお話をしたいと思います。

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土屋いづみ

植物観察家:植物の言の葉を読む人。夫と猫4匹と里山で暮らし。
里山に生えている植物や、地球のお庭と名付けた畑で植物を観察しながら、自然の叡智につながる植物観察講座、四大元素と植物観察、里山薬草学、植物から学ぶフラワーエッセンス講座などをお伝えしています。日々のレッスンの様子は、インスタとFacebookをチェックくださいね。
「植物の色・形・ふるまいには意味がある。植物を対話するように観察すれば、精妙な感性や本質を観る目を養う。植物、人間、宇宙のつながりを知る古からの学びや植物との共鳴を通じ、自分と自然の叡智に触れる。」

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