地球が満足することをお返しする道

里山に住み始めもうすぐ10年。改めて、地球のお庭や里山での暮らしについてその10年を振り返り、自然から得た知恵について綴っております。第1回は地球のお庭のはじまり、こちらのブログは第10回目 精油の抽出部位の意味②の続きです)

前回は、精油を抽出部位で分類して、それぞれの抽出部位の精油の特性を植物からお話しました。

植物を知ることで、精油は物質という視点を超え、自分自身を見つめ気づきを与えたり、自分の成長を促したり、自分を励まし勇気を与えたり、ともに人生を歩む存在になると感じています。

今回はアロマの話の最後の回です。今植物療法が抱える問題点や、これからの植物療法の在り方について思うことを述べてみました。

地球のお庭の自分で育てたハーブの香りを初めてかいだ時、今まで嗅いだどの精油の香りより、これが本当のアロマと感じました。(第1回 地球のお庭のはじまり

それは、ちょうどよい濃度の香りで、香りが豊かで、幸せな気持ちになる香りでした。

その時に、こういう自然豊かな環境の中だったら、アロマテラピーの小瓶って必要ない、自然と人が切り離されているから、アロマの小瓶が必要なんだなと感じたことがあります。

文明や経済が発達するのは悪いことではないですが、それが行き過ぎ、失ってはいけない大事なものまで失ってはいないでしょうか?

地球のお庭

植物療法の問題点

自然や人にやさしいイメージの植物療法も、多くは輸入に頼り、今たくさんの問題を抱えているように感じます。

例えば、輸入のものは何でもそうですが、輸送距離が長く燃料の点でいえば環境負荷をかけていますし、現在は、円安で、様々なものが値上がり、ドライハーブや精油も、例外ではありません。

地球規模での環境破壊や環境汚染の進行、気候変動によるハーブの栽培の難しさもあります。

アロマクラフトもプラスチックの容器を使ったり、精油のドロップ栓やキャップもプラスチックでできていたり、使い捨ての物が多いです。

精油はそもそも、大量の植物を使って抽出され、その中には貴重な植物も含まれます。

改めて考えてみると、そんなにたくさんの種類のたくさんの植物の量を使う必要がほんとにあるのでしょうか?

精油の成分変化の可能性により、開封後1年という消費期限が過ぎたら、廃棄しなくてはいけません。無理やり廃棄しないように使わなければいけないというのも、おかしな話ですよね。

商品のパッケージも度々変わります。

単なる商業ベースにからめとられながら、アロマやハーブが広がっていっている部分もあり、そこに気づけていない人も多いのではないかと感じます。

自然界は必要なものを十分持っていて、私たちに衣食住を分け与えることを惜しみなくやってくれています。

自然界の最低限のルールとしては、「必要な分だけいただき、相手が満足するものをお返しする」こと。

もし、そこから外れているとしたら、分け与えてもらっているというより、ただ奪っているにすぎません。

私たちは、自然界からは十分なものをすでに与えてもらっており、奪う必要は全くないのです。

極端な話に聞こえるかもですが、考えてみれば足元の植物から得られる恩恵や自然に触れることに心開けば、コストもかかりません。

遠くに意識を向けなくても、自分を助けてくれる素晴らしい植物はすぐそこに存在していますし、住んでいる土地の植物はより体に馴染みます。

足元の植物は、低コストで、自然と調和した優しい植物療法の可能性が広がります。

今後の植物療法を見直す機会にきているのではないでしょうか。

自然と切り離されている

誰もが心も体も健康でいたい。多くの人はそういう気持ちで、植物の恩恵であるアロマやハーブに触れたことと思います。

そもそも心や体が不調となった原因は何でしょうか?

少なくとも自然と切り離されていることが要因として関わっていないでしょうか?

物質主義社会の価値基準に合わながら過ごすストレス、良い・悪いの直線的で二元的な思考になっていること、利己的であること、他人の目に自分がどう映るかや自分の社会的立場を気にしすぎて自分で自分を縛って苦しくなったり、そんなことも要因としてあるのではないでしょうか?

そして、現在の物質主義社会の中においては、特にお金に価値を置きすぎて、「どれくらい稼げるか=自分の価値の評価」と錯覚し、大事なことが見えなくなっています。

直線的な思考は、植物療法の学びの中でも同じです。

成分として植物の恩恵を捉えることが主で、この症状にはこのアロマ、このハーブというような、二元的な使い方の時。

物としてみるのではなく、植物のエネルギーや命を感じると、別の選択肢が浮かぶことが多くあります。

自然の一部

私たちは自然の一部だと植物療法の中で聞くことがあるかもですが、私たちのうちのどれくらいの人が、本当に自然の中に生きているのでしょう?

それは、都会暮らし、田舎暮らし関係なくて、たとえ都会の中にあっても、植物と同じように、大地の上で、土、雨、空気、風、太陽の光とともに呼吸をして、創造のリズムの中にある喜びを感じながら、自然の鼓動の中で、生きることができます。

岡山駅から徒歩数分の都市部に住んでいるアロマセラピストの友人がいます。

彼女は、よく地球のお庭に足を運んでくれたり、植物観察を一緒に行う仲間で、毎月地球のお庭に来たいといってくれています。

どうして、地球のお庭によく足を運んでくれるのか尋ねた時、彼女は「地球のお庭で得たことが、自分を通じてお客様に伝わるから」と話していました。

彼女のもとには口コミで多くのクライアントがアロマの施術を受けにきます。

「地球のお庭は自然がたくさんあって、自分のサロンにはないものがたくさんあるけれど、自分のサロンでは、自分が自然の一部という感覚で施術を行ってる。

その感覚が手を通じてクライアントに伝わるの。自分のサロンにはアロマやハーブやフラワーエッセンスという植物の恩恵がたくさんあるし。」

と話していました。

都市部に住んでいても、自然と一体の感覚をよく体験していて、直接自然や植物に向き合った時に感じる、目に見える自然や植物の背後にある大いなる力が彼女の中には当たり前にいつもあるのです。

そのうえで取り扱う、アロマやハーブ。植物たちもきっと喜んで彼女を助けていることでしょう。

クライアントはその自然にいつも抱かれ、解放される。本当のホリスティックアロマセラピーです。

都市部で行うアロマテラピーも、この自然の一部という道につながっているということを感じていただきたいですし、だからこそ自然や植物に直接的に触れながらアロマの恩恵に触れることが大切と感じます。

きっと、地球に「地球が満足することをお返しできる」自分になるのではないかと感じます。

土屋いづみ

植物観察家:植物の言の葉を読む人。夫と猫4匹と里山で暮らし。
里山に生えている植物や、地球のお庭と名付けた畑で植物を観察しながら、自然の叡智につながる植物観察講座、四大元素と植物観察、里山薬草学、植物から学ぶフラワーエッセンス講座などをお伝えしています。日々のレッスンの様子は、インスタとFacebookをチェックくださいね。
「植物の色・形・ふるまいには意味がある。植物を対話するように観察すれば、精妙な感性や本質を観る目を養う。植物、人間、宇宙のつながりを知る古からの学びや植物との共鳴を通じ、自分と自然の叡智に触れる。」

関連記事

PAGE TOP